【画像】世界を変えた衝撃の写真12枚: 後世に語り継がれるべき人類の英知と黒歴史

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写真と共に過去100年の「人類の英知」と「黒歴史」を振り返る・・・

過去100年の衝撃写真集

世界中を震撼させた1枚や歴史的瞬間を捉えた1枚。写真は世の中を大きく変える力を持っています。

どれだけの時が過ぎようとも、脳裏に鮮明に残るような過去100年間の衝撃の写真を集めました。

(※閲覧注意: 暴力的な画像がいくつかあります)


1. ライト兄弟 – アメリカ、1903年


ライト兄弟による人類初飛行

ソース:NASA

米ノースカロライナ州、1903年12月17日: 世界で初の有人動力飛行を成し遂げたライト兄弟と「ライトフライヤー号」。 飛行機を見守っているのが兄のウィルバー・ライト、操縦桿を握るのが弟のオービル・ライトだ。

2人は、自転車店を営みながら独自の研究を重ね、ついに夢を実現した。この1枚がなければ、機械が空を飛んだという事実を、誰が信じただろう?科学の発展がめざましかった20世紀をスタートするにふさわしい写真といえる。


2. 白人群集による黒人集団リンチ – アメリカ、1930年


米インディアナ州の集団リンチ

ソース:wikipedia

1930年8月7日米インディアナ州: まだ人種差別が色濃い時代の出来事。

アフリカ系アメリカ人のトーマス・シッピーとエイブラハム・スミスは、白人に対して強盗殺人、及び婦女暴行を働いた疑いで、インディアナ州の警察に拘束されていた。その事件を聞きつけた白人の群集が、ハンマーや斧を手に留置所に押しかけ、容疑者2人を拉致。集団リンチを加えた後に、2人の黒人を木につるし上げた。

群衆は、縄から首を外そうともがいていたエイブラハム・スミスをいったん地面に下ろし、両腕をへし折った上で再び首吊りにしたという。恐ろしいことに、同州の警察官もこの集団リンチに参加していたことに加え、被害者の女性が、後日になって「レイプはされていない」と証言している。

この残酷な写真は、作詞家ルイス・アレンに大きな衝撃を与え、人種差別を訴える有名な歌『奇妙な果実』が生まれるきっかけとなった。歌は、ビリー・ホリデイによって広く知れ渡ることになり、やがて黒人差別反対運動を代表する歌となった。

Southern trees bear strange fruit
(南部の木には奇妙な果実がなる)
Blood on the leaves and blood at the root
(葉には血が、根にも血を滴たらせ)
Black bodies swinging in the southern breeze
(南部の風に揺らいでいる黒い死体)
Strange fruit hanging from the poplar trees
(ポプラの木に吊るされている奇妙な果実)


3. 広島・長崎原爆投下 – 日本、1945年


1945年8月、広島・長崎: 原子爆弾が作りだすキノコ雲。

第二次世界大戦中、米軍により人類史上最も残忍な大量破壊兵器が広島・長崎に投下された。

写真は、米空軍が撮影したもの。アメリカ政府公式の説明では、日本本土での直接戦を避け、戦争を早期に決着させるために原子爆弾を使用したとしている。両都市の原爆被害で、1945年の12月までに約21万人が死亡したといわれている(推定)。

日本は世界で唯一、核爆弾の直接被害を受けた国である。絶対に忘れてはならない写真。


4. オズワルド射殺 – アメリカ、1963年


ソース:events.mnhs.org

1963年11月24日、米ダラス州: ケネディ大統領暗殺事件の犯人とされるリー・ハーヴェイ・オズワルド射殺の瞬間。ダラス警察署から郡刑務所へ移送される車に乗る直前、ジャック・ルビーによって拳銃で狙撃され命を落とした。

ケネディ暗殺に関しては、現在でも多くの謎が残っている。オズワルドは、逮捕直後から記者団の前で「自分は嵌められた」と主張していた。暗殺の実行犯はオズワルドではない、あるいは単独犯ではないという説は未だ根強い。真実は2039年に解禁されるという。


5. サイゴンでの処刑 – ベトナム、1968年


Wikipedia

1968年2月1日、サイゴン:  AP通信のエディ・アダムズが撮影した、ベトコン兵処刑の瞬間。

テト攻勢下のサイゴンで、当時の警察長官グエン・ゴク・ロアンが、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の兵士グエン・ヴァン・レムを路上で射殺する様子である。

南ベトナム側の発表によると、レムは多くの警察官やその家族を殺害した残忍非道なベトコン指揮官であり、処刑は正当であるとした。

この写真は全世界に配信され、反戦運動の大きな引き金となった。


6. 月面着陸(アポロ11号) – 1969年


1969年7月16日: 人類が初めて月面に降り立った日。写真はエドウィン・オルドリン操縦士、撮影したのはニール・アームストロング船長である。

月からの映像は世界中に中継され、少なくとも6,000万人以上がテレビを通して、人間が月に降り立つ瞬間を見守っていたと言われる。 月面に歴史的な第一歩を記したアームストロング船長は、次の有名な言葉を発した

これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である
(That’s one small step for a man, one giant leap for mankind)


7. 無名の反逆者 – 中国、1989年


1989年6月4日、北京: 天安門事件を象徴する1枚。 事件の翌日、天安門広場に通じる長安大街の路上で戦車の行く手をさえぎる男がいた。

氏名不詳のため、「無名の反逆者(The Unknown Rebel)」、「戦車男(Tank Man)」などと呼ばれている。 戦車は男を回避するために何度も横に迂回しようとするが、その都度彼は戦車の前に立ちふさがり侵入を防いだ。

「無名の反逆者」の素性は謎に包まれている。当時の学生指導者ウーアルカイシや中国の知識人にさえ、彼のことを知る者が存在しないことから、その場にたまたま居合わせた普通の中国人の若者の1人ではないかと言われている(※ウィキペディアより抜粋)。


8. ハゲワシと少女 – スーダン、1993年


1993年、スーダン: 国連食料配給センタ-に向かう少女とそれを狙うハゲワシ。写真家ケビン・カーターが撮影し、後にメディアの姿勢を問う論争を巻き起こした1枚だ。

当時のスーダンでは、長く続いた内戦と干ばつのために、子供を中心に深刻な飢餓が広がっていた。 カーターが訪れたアヨドという村では、飢えや伝染病で1日に10人から15人の子供たちが死んでゆく有様だったという。

その村の近辺で、ハゲワシがうずくまった少女を狙うという場面に遭遇し、カーターはそれをカメラに収めた。「写真を撮った後、ハゲワシを追い払った」とカーターは手記に記している。スーダンの飢餓を切実に訴えようとした1枚だったが、「写真を撮る以前に少女を助けるべきではないか」などといった人道的な批判が多く寄せられた。

この衝撃の写真は、1994年にピューリッツァー賞を受賞。しかし、その約1ヵ月後、カーターはヨハネスブルグ郊外の車の中で自殺した。


9. The Falling Man(9/11テロ) – アメリカ、2001年


米ニューヨーク、2001年9月11日: 崩壊寸前の「世界貿易センタービル」から転落する男。

全世界に衝撃を与えた9/11テロ(アメリカ同時多発テロ)。11日午前8時46分にアメリカン航空11便が、続いて9時3分にユナイテッド航空175便が世界貿易センタービルに突入し、爆発炎上した。

避難経路が遮断され、煙による苦痛や絶望感から、男は飛び降りることを余儀なくされた。この日、最低でも200人が彼と同じ運命を辿っている。

この事件をきっかけに、アメリカはアフガニスタン紛争、イラク戦争に突入することになる。人々の心にテロの恐ろしさを刻み込んだ1枚だ。


10. アブグレイブ刑務所(捕虜虐待) – イラク、2004年


2004年、イラク: イラク戦争の捕虜に対する壮絶な虐待事件。

陸軍兵長ジョセフ・ダービーの内部告発により、この非人道的な戦争犯罪が明るみに出た。最初に事件を取り上げたメディアは、米CBSの「60 Minutes II」。

その後の各メディアの報道で、「男性捕虜に同性愛行為を強制する性的拷問」や「女性収容者や子供に対する性的虐待」など、数々のおぞましい行為が行われていたことが明らかとなった。2004年5月12日に米議会で非公式に披露された陸軍秘密報告書は、議員達の顔色が変わるほど悲惨なものであったという。

フランスの日曜紙ジュルナル・デュ・ディマンシュは、アブグレイブ刑務所などで米国人看守らに性的虐待を受けた多くの女性収容者が、釈放後に自殺したり家族に殺されたりしたと報じている。

これを受け米国国防省は、17人の軍人及び職員を解任、11人を軍法会議で有罪とした。虐待を承認していたとされる当時の国防長官ドナルド・ラムズフェルドは、「例外」で「常習化したものでも習慣でもない」と主張している。


11. Yes We Can(大統領選挙勝利演説) – アメリカ、2008年


2008年11月4日、米グラント・パーク(シカゴ): 米国で初の黒人大統領が生まれた歴史的な1日だ。

2008年アメリカ合衆国大統領選挙で、民主党候補のバラク・オバマ氏が見事勝利を収め、数十年前には「夢物語」とされた初の黒人大統領が誕生。当選当日、シカゴ市内中心部のグラント・パークには約24万人の聴衆が集まり、ただならぬ熱気と興奮の中、オバマは「アメリカに変革が訪れた」と勝利演説を行った。

この歴史的な演説は、以下の言葉で締めくくられた:

今この時こそが、我々の時代なのである。今こそ人々に仕事を戻し、子供達にチャンスの扉を開くべき時である。繁栄を取り戻し、平和という大義を推進すべき時である。今こそアメリカン・ドリームを取り戻し、根本的真理を再確認すべき時である。つまり、大勢の中にあるが、我々は1つなのだと、呼吸し続ける限り希望を持ち続けるのだと。そして、疑り深く悲観し否定する者に遭遇した時、「そんなことは不可能だ」と語る者に遭遇した時には、人民の魂を端的に示す不朽の信条で、こう応えようではないか:
This is our moment. This is our time – to put our people back to work and open doors of opportunity for our kids; to restore prosperity and promote the cause of peace; to reclaim the American Dream and reaffirm that fundamental truth – that out of many, we are one; that while we breathe, we hope, and where we are met with cynicism, and doubt, and those who tell us that we can’t, we will respond with that timeless creed that sums up the spirit of a people:

Yes We Can!

愚かな過ちを何度も繰り返してきた人類だが、少しずつ前進しているかも知れない。


12. アラブの春 – 2010年~現在


2010年12月からアラブ諸国で巻き起こった、前例のない大規模な反政府・民主化デモ活動。

チュニジアの「ジャスミン革命」に端を発し、中東や北アフリカ各国などアラブ諸国に広がっていった「アラブの春」。相次ぐ民衆デモで、チュニジア、エジプト、リビアなどの数十年続いた独裁的な政権を、次々と崩壊させた。

これらの民衆革命において、人々を団結させ、意思疎通するうえで、TwitterやFacebookをはじめとする「ソーシャルネットワーク」が重要な役割を果たしたといわれている。

一方で、シリアでは依然として騒乱が続いており、事態の深刻さから、国際連合は「シリア騒乱」を事実上の内戦状態と認識した。2012年6月下旬の時点で、死者が1万5千人以上とされている。

多数の犠牲者が出てしまったとはいえ、ついに人々は自らの力で長期間にわたる圧政を脱し、自由や権利を掴もうとしている。

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