現在、韓国のソウルに暮らしている脱北者のシン・ドンヒョクさん。彼は北朝鮮の強制収容所で生まれ、外の世界を一切知らないまま、最初の23年間をそこで過ごした。北の収容所から脱獄して、国外逃亡に成功した唯一の人間だと言われている。
そんなシンさんが先日、アメリカのドキュメンタリー番組「60 Minutes」に出演し、過酷な収容所生活や逃亡劇について赤裸々に語った。そのストーリーは同じ世界の出来事とは思えないほど壮絶なものだ。
北朝鮮の収容所で生まれ育った男
1. 朝鮮戦争時代、シン・ドンヒョクさんの伯父にあたる人が韓国に逃亡し、そのせいで彼の祖父と父は「14号収容所」と呼ばれる強制収容所に連行される。
2. 懸命な労働が評価され、シンさんの父親は看守のアレンジのもと収容所内で結婚が許されることに。そうしてシン・ドンヒョクさんは生まれた。ただし結婚といっても、夫婦が一緒に暮らすことは認められていなかったらしい。
インタビュアーから「両親は愛し合ってたと思うか?」と聞かれたとき、シンさんはこう答えた:
「分からない。思うに、私たちは家族ではなかった。ただの囚人同士だったんだ」
3. 14号収容所では、脱獄を試みたり企てたりした者、さらにはそのような活動を報告しなかった者まで射殺されてしまう。そして見せしめとして、すべての囚人たちはその処刑に立ち会わねばならなかった。
だがシンさんにとって公開処刑の見物は、日々の重労働や慢性的な飢えからわずかでも解放される、息抜きのような時間だったという。
4. 囚人たちに与えられる食事は、トウモロコシ粉とキャベツでできた粥のみ。「飢えることによってのみ、悔い改めることができる」、看守たちはそんな言葉を繰り返した。囚人たちの飢えは慢性的なもので、空腹のあまりネズミや昆虫を捕まえて食べることも珍しくなかったそうだ。
5. 「看守は、生まれつき看守。そして私のような囚人は、生まれつき囚人」、世の中はどこにいっても収容所のようなものだろうと彼は思い込んでいた。アメリカ合衆国の存在はおろか、地球が丸いのか平らなのか、そんなことも知らないまま育った。
6. シンさんが収容所生活で受けた傷は、心の中だけでなく、体にもちゃんと残っている。ある時、工場の機械を故障させてしまった罰として、彼は中指の先を切り落とされてしまった。その他にも、拷問を受けたときの傷跡が体中に残っていると語る。
7. 彼が13歳のとき、母と兄が脱獄を企て捕えられた。その罪はシンさんにまでおよび、彼は逆さ吊りにされ、過酷な拷問をうけたそうだ。
その後、母は絞首刑にされ、兄は射殺。シンさんは家族の処刑を最前列で見物させられた。だが家族の死を目の当たりにしても、とくに悲しみを感じなかったそうだ。「収容所のルールを破ったのだから仕方がない」、そんな冷静な感情を抱いたという。
後にシンさんは、「母と兄を看守に売ったのは実は私だった」とインタビュアーに明かした。密告することで、褒美として食事を多くもらえることを期待したそうだ。そして何よりも、「通報する義務が私にはあった」と彼は語る。
8. 23歳になったとき、彼は朴(パク)という名の囚人と出会った。その囚人は平壌出身で中国を訪れたこともあり、彼の話を通してシンさんは初めて14号収容所の外の世界のことを学んだ。
彼が特に興味をひかれたのは、食べ物に関することだ。これまでに見たこともない鶏肉や豚肉料理の話。そのようにして、外の世界に出たいという気持ちは日に日に募っていった。今日でも彼は、「好きなものを何でも食べられること」が自由の定義だと考えている。
9. 2005年1月、彼とパクさんは収容所のフェンス付近で薪拾いをしていたとき、ついに14号収容所から脱走することを決意する。そのまま有刺鉄線に向かって走り出した。パクさんが最初にフェンスまでたどり着いたが、そこには電流が流れており、触れた瞬間に彼は感電死してしまった。
シンさんはその亡骸の上を這うようにしてフェンスを潜り抜け、脱獄することに成功した。
10. 「まるで天国のようだった」と彼は語る。世界で最も貧しい地域のひとつといわれる北朝鮮の農村部でさえ、彼の目には天国のように映ったのだ。「みんな笑って好きなことを話す。みんな着たい服を着て、好きな格好をしている」、そんな当たり前の風景に彼は大きなショックを受けた。
11. とにかく収容所から離れようと、シンさんはそのまま北へ向かった。知らないうちに国境付近へとたどり着き、そこで中国について聞き知ったらしい。彼は盗んだお金を賄賂としてなんとか国境を越え、最終的に上海までたどり着いた。そこで彼は韓国大使館に駆け込み、韓国への亡命が許されたそうだ。
ついに新たな人生を歩みだしたシンさんだが、友人や家族は一人もいない。最初はカルチャーショックやストレス障害に苦しみ、入院を繰り返していたという。
12. 現在、シンさんは30歳になり、韓国のソウルで安定した生活を送っている。
メディアが取り上げるのは、金正恩とその妻のことばかりで、悲惨な強制収容所にはほとんどスポットライトが当たらない。彼はそんな状況を危惧し、自らの体験談をより多くの人に広める活動を積極的に続けている。
ようやく自由を手に入れ、食べたいものを食べられる環境に落ち着いた彼だが、母と兄を売ったことに対する罪悪感にさいなまれることがあるそうだ。そして、現在も収容所で苦しみ続ける囚人たちのことをよく考えるという。
北朝鮮政府は、「14号収容所」をはじめとするいかなる強制収容所の存在も否定している。
- ソース:「cbsnews.com」
- 参考記事:「businessinsider.com」
恐ろしい国
たまたま読んでいたサイトから流れて「北朝鮮の収容所で誕生し、脱北し韓国にいる青年」の記事を読んでしまった。恐ろしい。知らないほうが幸せだったかも。食べもの欲しさに母と兄…