娼婦から世界有数の大海賊団のボスに成り上がった中国の女海賊船長

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チン・シー 中国の海賊

海賊と言えば大西洋やカリブ海など西洋のパイレーツがまず初めに思い浮かぶが、19世紀中国に世界史上でも稀にみる大海賊団を率いた娼婦あがりの女性がいたのはご存じだろうか?彼女の名は、鄭氏(チン・シー)。数万人以上の海賊を従えたとされる海の女帝の波乱万丈な生涯について、英語版Wikipediaから紹介します。

娼婦から大海賊の頭領に

チン・シーが生まれたのは、清王朝が最盛期だった1775年ごろ。生い立ちについてはほとんど明らかになっていないが、彼女が26歳になる頃には、すでに広東(カントン)の水上売春宿に身を沈めていたという。そこで、「紅旗幫(Red Flag Fleet)」という海賊団の長だった鄭一(チェン・イー)から気に入られ、やがて2人は結婚することとなった。

結婚までの経緯は、「海賊が無理やりチン・シーを誘拐した」とする説や、「チェン・イーが普通にプロポーズした」とする説など、研究者によって意見が分かれている。どちらにせよ、チン・シーは結婚後、海賊団の運営を手助けするようになった。

その後数年間で、紅旗幫の艦隊は200隻から600隻に急成長。他の広東海賊たちと連合を組織し、その規模は1807年までに1700隻を超える大海賊団となった。しかし同じ年、船長のチェン・イーが台風で命を落とすことになる。

▼チン・シー鄭一嫂 中国の女海賊

鉄の掟

夫の死後、チン・シーはすぐに紅旗幫を掌握するための工作を開始。チェン・イーの養子だった張保仔(チャン・パオ・チャイ)を担ぎ上げ、彼と結婚することで、地位を堅固なものにしようとした。チャン・パオはもともと漁師の息子だったが、15歳の時に紅旗幫に拉致されて海賊の一員となり、その才覚をチェン・イーに買われ、養子となった人物。

海賊団の実権を握ると、チン・シーとチャン・パオは組織内に新しい規律を布いた。膨らみ続ける組織を統制するための、鉄の掟だ:

  • 命令に背いた者は、首をはねられ海に捨てられる
  • 略奪した宝を配分する前に盗んだ者は、首をはねられ海に捨てられる
  • 許可なく女性に乱暴を働いた者は、首をはねられ海に捨てられる
  • 任務中に密通した者は、首をはねられ海に捨てられる。相手の女性は、重石をくくりつけられ海に捨てられる
  • 貢物を収めた村や船で盗みや乱暴を働いた者は、首をはねられ海に捨てられる
  • 許可なく陸に上がったものは、首をはねられ海に捨てられる
  • 組織を抜ける場合は、耳をそぎ落とされる
  • 醜い女性を捕虜とした場合は、無傷のまま逃がす。美しい女性を捕虜とした場合は、船員に報酬として与えられるか、もしくは船員が購入できる。ただし、その女性を手に入れた船員は、彼女と結婚せねばならず、本当の妻と同様の扱いをしなければならない。これに反した者は、首をはねられ海に捨てられる

これらの規律は例外なく厳格に守られた。紅旗幫の捕虜だった英国のリチャード・グラスプールは「この厳しい掟が、彼らの戦いにおける勇猛さと、劣勢になっても屈しない力の源となっている」としている。

厳格な掟のもと、紅旗幫はさらに勢力を拡大し、最盛期の1810年には1800隻の船と7万~8万人(約1万7000人がチン・シー直属)を従える大海賊へと成長。 清王朝内に多数のスパイを潜入させるといった裏工作にも余念がなく、広東沿岸一帯・南シナ海を事実上支配する存在となった。

またチン・シーは、典型的な略奪行為だけでなく、“ビジネス的”な面でもその手腕を発揮した。その内の一つが海上通行料システムだ。南シナ海を行き来する商船に対して、金を払えば航路の安全を保障するというもの。もちろん断ればターゲットとなる。チン・シーはこのような手段で 、巨大組織を養っていった。

紅旗幫の解散、海賊引退

海賊にこれほど好き放題やられてしまうと、皇帝としては面白くない。そこで清王朝は、紅旗幫を鎮圧すべく海軍を出動させたのだが、逆に返り討ちに合い、63隻の大型船を奪われてしまった。捕虜となった海軍の士官たちは、「海賊に入るか、極刑になるか」という選択を迫られ、多くが紅旗幫に参加したという。この時に海軍を指揮したKwo Lang大将は、捕虜となる前に自害している。

自分たちだけで処理するのは難しいと踏んだ清政府は、莫大な金額を支払い、英国、ポルトガルなど西洋諸国に援助を依頼。連合艦隊は約2年間に渡り紅旗幫の駆逐に努めたが、これといった成果は得られなかった。そこで清王朝は、紅旗幫を武力でねじ伏せるよりも、恩赦を発して、事態の収拾を図ろうとする。

はじめは政府からの提案を拒否したチン・シーだが、話し合いの結果、1810年に恩赦を受け入れ、紅旗幫を解散させた。解散と引き換えに政府が合意した条件は、「海賊団全員に恩赦を発する」「これまでに略奪した財宝を没収しない」というもの。こうして、乗組員の376人が罰せられたものの、ほぼ全員が何の罪にも問われることなく自由の身となった。中には政府の軍隊に加入する者もたくさんいて、チン・シーの夫チャン・パオは清朝海軍で20隻の軍艦を指揮する高級武官に出世したという。

一方のチン・シーは皇帝から爵位を授かり、王朝公認の貴族となる。35歳で完全に海賊業から引退し、海賊時代にため込んだ巨額の富で広東省に賭博場/売春宿を開業。65歳で他界するまで、そこの経営を続けた。また、少なくとも1人の子供を儲けている。

チン・シーは歴史上で最も成功した海賊船長の一人といえる。娼婦から身を起こし、空前規模の大海賊を率いただけでなく、捕まったり戦死したりすることなく財宝を手に引退し、裕福なまま生涯を終えた数少ない海賊船長の一人だからだ。

Thumbnail by Stuck in Customs via Flickr

参考記事:「Wikipedia」「todayifoundout.com

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