ノルウェー銃乱射事件の生存者が海外掲示板でQ&A

ノルウェー銃乱射事件 ama

69人の死者を出したノルウェー・ウトヤ島の銃乱射事件からちょうど3周年となる7月22日、大惨事を生き延びた男性の一人が海外掲示板Redditに「何でも聞いて(AMA)」スレッドをたて、事件の体験や当時の気持ちを赤裸々に語っていた。

スレ主は、当時17歳の高校生でキャンプに参加していたJarl Riskjell Gjerdeさん。以下に、特に印象深かったやり取りをいくつかピックアップしたいと思う。

▼Gjerdeさん、本人証明の写真
ノルウェー銃乱射事件 生存者 掲示板


銃乱射事件の生存者だけど質問ある?


Q:事件に巻き込まれたと知ったとき、まず何を思った?

A:「Oh shit」。実際にそう声に出して叫んだと思う。 なぜだかわからないが、最初は学生たちがAK47を持ってふざけあっているだけで、大したことじゃないと思っていたよ。すると突然、隣の部屋で人が撃たれたんだ。すぐにパニックさ。 銃声がすぐ近くで聞こえたとき、これはジョークや予行練習ではないとわかった。隣の部屋で本当に人間が殺されていたんだ。「Oh shit」。


Q:事件で最も心に残っていることは何?

A:あそこで一人の女の子と知り合ったんだ。事件の前日、彼女は生まれる前に亡くなった彼女の妹の話を聞かせてくれた。妹の分も生きることが人生の目的だ、って言ってたな。でもその翌日に彼女は死んでしまった。


Q:救出されてから最初に両親に会ったとき、どんな言葉をかけました?

A:「Hi(やあ)」だったね。母親はすぐに泣き崩れたよ。


Q:犯人は死刑になるべきだと感じますか?それとも終身刑が妥当だと思いますか?(※ノルウェーに死刑制度はない)

A:すごく難しい質問だね。僕個人としては、奴を殺してほしいと思っている。あのような人間は死刑になるべきだと強く思う。でもそうすべきじゃない。もし奴が死ぬのであれば、あの島で殺されるべきだった。もしくはその選択肢を刑務所内で与えればいい。これは答えるのが難しいな。奴には死んで欲しいが、誰も奴を殺すべきじゃない。


Q:事件の影響であなたの人生はどんな風に変わりました?

A:事件の後、僕は他人を助ける責任感みたいなものが強くなった気がする。以前よりも助けが必要な人を気にかけるようになったし、強い意志を持ちさえすれば不可能などないということも学んだ。少しベタに聞こえるかもしれないが、メンタルな傷を乗り越えた後は、より大きな人間に成長できた気がする。事件後、僕は困っている人を見かけたら(転んでいる人とか、酔っ払て歩けない人とか)、すぐに助けに飛んでいくように心がけている。

でもその一方で、自信を無くしてしまった部分もある。事件にかかわったことで、みんなが僕を避けているような気がしていたよ。友達が離れていくのがすごく怖かった。おかしな変わり者だと思われるのが怖かった。みんないなくなるのが怖くて、僕は抱えていた問題をほとんど誰にも話さなかったよ。新しい人と出会うときは、今でも事件のことを隠そうとしてしまう。 (やっかいな傷物とは関わりたくないって思われるかもしれないだろ?トラウマを持った人間と進んで関わりたいと思う奴なんてどこにもいないよ!)

でも僕のトラウマはもう解消された。今は問題なく暮らしているし、誰かに話を振られない限り、事件のことは全く考えない。でも後遺症というか、性格が変わった部分もあるかな。


Q:体を張ってヒーローになろうという考えは頭をよぎりましたか?もし誰かが行動を起こしていればブレイビク(犯人)を止められたと思いますか?

A:頭の中で何度もそういったシナリオを考えたよ。「木の上に隠れて、奴めがけてジャンプすればどうなったか?」、「奴が崖っぷちに立っていたとき、タックルすればどうだったか?」「奴が階段をあがっているとき、上からピアノを落としていればどうなったのか?」。でも現場にいたときは、ヒーローになろうなんて考えは全くなかった。あの日のことを思い出すと、こういったシナリオが浮かんでくる。

実のところ僕はしばらくの間後悔してたんだ。あのときチャンスがあったのに、どうして犯人を殺そうとしなかったんだろうって。こういった考えはトラウマの影響だったと思うけどね。確かに奴を止められたかもしれない。でもそれはとんでもなく無謀な行為だ。石を投げつけていた人が何人かいたけど、それ以上の行動はなかった。

「もし俺がその場にいたら、5人のグループを作り戦略を練って、奴を包囲して捕まえていただろう」、こんなことを言うやつがたまにいるけど本当にウンザリだよ。銃で襲われているとき、脳はそんな風に働いてくれない。何もトレーニングを受けていない脳ならなおさらだ。


Q:現場で実際に起きたことで、マスコミが十分に伝えなかった情報とかある?

A:警察が到着する45分前に、報道ヘリがやってきたことかな。ヘリコプターに積まれているのが救助隊ではなくカメラだと知ったときは、ものすごく腹が立ったよ。ああ、それから陸地にいる警察は撃たれるのを恐れてコンテナの後ろに隠れていたな(島から陸地の距離は3~400mはあるのにもかかわらずだ!!)。ほとんどの警察は何もしようとしなかった。


Q:生き残ったことに罪悪感を感じたりする?「どうして僕じゃなかったのか」みたいな疑問は浮かんでくるかい? 他の生存者たちと連絡を取ったり、事件のことを話し合ったりする?

A:罪悪感を感じた人は多いみたいだけど、僕は一度も感じたことはない。むしろ僕は他人の命を救うことができて幸運だと思っている。一人の男が僕の腕の中で死んだけど、最後まで彼のそばにいてやれたことを少し光栄に思う。「もし僕があの場所にいなかったら、もっとひどいことになっていたんじゃないだろうか…」、僕は自分自身にそう言い聞かせることで、苦しみを忘れようとしているよ。


Q:市民が拳銃を所持することについてどう思いますか?事件の前と後で意見は変わりましたか?

A:分別を持たないバカが銃を持ちすぎている。僕の国が銃所持をプロモートしないのはとてもありがたい。この件に関してそれほど深く考えたことはなかったが、世界のどこかで銃乱射事件が起きたというニュースを聞くと、他の災害などに比べて、よりつらい気持ちになる。銃声と悲鳴が混ざり合ったあの音は誰も経験すべきものじゃない。そもそも射撃場以外で銃声を聞くことがおかしいんだ。


Q:あなたを含む生存者たちは、事件後にどんな扱いを受けました?

A:僕らが受けたケアの“酷さ”を聞けば驚くと思う。僕ら生存者には2~3週間に一度のミーティングがあったんだ。6ヶ月間くらいかな。みんなでピザをつまみながら、お互いの気持ちを語り合った。すごく良かったんだけど、6ヶ月は短すぎたし、ミーティングの頻度も十分じゃなかったね。

僕の学校に関しては少しかわいそうだなと思う。僕を含めて3人の生存者がいたんだけど、学校側はどうやって僕らに接するべきか困り果てていたからね。たとえば授業で残酷なシーンがある映画(銃撃戦とか死亡シーンとか)を見るときなんか、いちいち僕に確認してきた。そんなのは必要なかったんだ。僕が必要としてたのは、学ぶべきものを学ぶための手助けであり、みんなが僕に変な気を使わないようにしてくれることだった。でもすべてを学校の責任にはできないよね。あんな経験をした生徒をどう扱えばいいのかなんて誰にもわからないのだから。とにかく僕らは必要なサポートをあまり得られなかった。僕らが18歳になったら(事件から1年くらい)、カウンセリング料さえも自腹になったからね。


Thumbnail by lukeroberts/Flickr

ソース:「Reddit

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